手放すことでしか得られないもの、って、なんだろう、、、
手放すことで見えてくる、自分にとっての「大切なもの」
それは、人それぞれ、ということは、わかるけれど、
今、自分に、不要なものを、ひたすら、手放していくことでしか、到達できなさそうです、、、
とはいえ、わたしを含め、人間って、ほんと、煩悩の塊。。。。
使えるものを捨てるのはモッタイナイ (使わないけど)
高いお金を出して買ったものを捨てるのはモッタイナイ (もう二度とつかわないけど)
せっかくもらったものを捨てるのはモッタイナイ (ただでもらったんだけど、ただで手放すのは嫌、得したい)
高く売れるんだったら、手放してもいい(他人が損するのはいいけれど、自分は、ぜったいに、損したくない)
今、生活に困っているわけではないけれど、モノをタダで手放すのは嫌(損している気がする)
そんな心があるから
いつまでたっても
家の中も、収納の中も、今、自分に、不要なものがいっぱい💦
(しかも不要ということにも気が付いていない)
断捨離の片づけとは、
必要なモノをしぼりこむこと、
必要のないモノを住まいという空間から取り除くこと
のようです。
リビングにある不要なモノを、押し入れやタンスにしまって「見えないようにする」ことは、片づけとは言いません。それは「モノを移動した」だけの話です。
とも、やましたひでこさんがおっしゃられています。
わたしが、主に生息している、リビング&ダイニングには、収納がほとんどないため、暇さえあれば、要・不要をせっせ、せっせと、決断しては、
住みやすい空間を作っています。
一方、わたしが、寝るときにしか利用していない主寝室は、主に、夫のエリア。
スタンディングデスクや、小さめの本棚が2つ、そして、アメリカで集めたボブルヘッドの人形やマグネットなどが、(だいぶ減ったとはいえ)、ホコリをかぶっていたり、します。。。
他人の領域に口を挟み始めると、いいことないので、スルーしていましたが、、、、
改めて見直してみると、主寝室のウォークインクローゼットには、まだまだ、私のものも多いです。
けっこうモノを溜め込んでいます。。。。
モノを溜め込むタイプには、現実逃避型、過去執着型、未来不安型の3つがあるようです。
わたしは、自分の卒業アルバムもとっとと全捨てしてくれたらいいのに、と思っているくらいには、過去に執着はないのですが、、、、
未来の自分のお子たちに【ママ酷い】と言われたくなくって、【こんなものもとってくれているなんて、ママっていいお母さんだよね】と言われたくって、ため込んでいるものも多いなあ、という気もしています。
でも、モノを保管しているからだけで、未来のお子が感謝してくれるわけはない💦
現在のお子に向かい合っていかなければ、未来には道は続かない、と思い直しました。
ということで、現在に集中できるように
改めて、一つ一つ、モノと向かい合ってみたいな、と思います😊
話は変わるのですが、、、、
槇原敬之さんの曲は、疲れたときに時々聞きたくなる、心のオアシスなのですが、、、
「僕が一番欲しかったもの」は、「捨てる」「手放す」マインドにも通じるものがある気がします。
20年前の曲なのに、やっぱり、ヨイです💛
惜しいような気がしても
自分に今必要なければ
自分よりもっと必要な人がいるのであれば
自分が得しなくても、自分がちょっと損をしても、それを手放せる人になれれば
いいなあ
深いので、以下、歌詞を一部紹介しておきます~。
その人はさっき僕が拾った
素敵なものを今の僕以上に
必要としている人だと
言う事が分かった
惜しいような気もしたけれど
僕はそれをあげる事にした
きっとまたこの先探していれば
もっと素敵なものが見つかるだろう
その人は何度もありがとうと
嬉しそうに僕に笑ってくれた
~中略~
僕のあげたものでたくさんの
人が幸せそうに笑っていて
それを見た時の気持ちが僕の
探していたものだとわかった
今までで一番素敵なものを
僕はとうとう拾う事が出来た